デハビランド DH.98 モスキート (de Havilland Mosquito) は第二次世界大戦中、主にイギリス空軍で使用された爆撃機で機体が木製であったため、「The Wooden Wonder」と呼ばれた。
モスキートはマーリンエンジンを両翼に1基ずつ搭載した双発機であり、コクピットには操縦士と航法士が並んで座った。ほとんど木材を使うという変わった構造で、当時でさえ時代遅れだと考える向きもあったが、生産にあたって家具など木工分野の工場も動員できる上、木製ゆえレーダーに察知されにくい、表面を平滑にできるため空気抵抗では金属製よりも優れるといった副次的なメリットもあった。
3つの異なる種類の試作機が製作され、爆撃機の試作であるW4050は1940年11月25日に初飛行を行い、それに続いて、1941年5月15日に夜間戦闘機型、同年6月10日に写真偵察機型が初飛行を行った。その他にも戦術爆撃機、先導機、昼間及び夜間戦闘機、攻撃機、写真偵察機など、幅広い任務に投入された。
開発史
1930年代からデハビランド社は、DH.88 コメットやDH.91 アルバトロスなどで合成木材と使った高速機の開発に実績があった。イギリス航空省 (Air Ministry) と新型爆撃機開発の指名を受けて契約したが、これまでデハビランドは長い間航空省と契約を結んでいなかった。航空機業界からの圧力と鉄とアルミニウムが不足している際、使用されていない家具業界の資源とデハビランド社の技術力を利用した木製の航空機が有用であると構想の屋台骨は決まったが、公式な方向性と釣り合わないと考えられた。
モスキートの試作機設計主任にロナルド・ビショップを据え、DH.91 アルバトロスを基に3箇所の機関銃砲塔と機関銃要員6名でマーリンエンジン2基を搭載したが、この設計では平凡な性能しか発揮しなかった。設計構想を何度かやり直し、エンジンを3基にする案もあったが、研究していくうちにまったく別の方向性に気づいた。それは、重量がかさむ必要のないものを全て取り除かれた。機関銃砲塔を1つ1つ撤去していくうちに、性能は次第に改善されていき、防御火器を必要としないほど高速ではないかと理解されるに至った。この結果、小型エンジン2基と乗員2名で機体の特徴が高速であること以外に何もない爆撃機が考え出された。それでも、1,000 ポンド (454 kg) 爆弾を搭載し、2,500 kmの距離を650 km/hで飛行できる性能だと算出された。
1938年の10月に航空省は、木製で武装を持たない爆撃機に疑問を拭いきれず、この構想を却下した。それと同時に、デハビランドに対して既存の爆撃機製造を持ちかけたが、デハビランドはこの構想に不安は点はなく、自社で開発を続けることを決意した。ウィルフリッド・フリーマン空軍大将の支持を得るに至って、1940年3月1日に試作機のB.1/40を含む50機が発注された。
設計と試作機の製造はすぐ開始されたが、ダンケルク撤退の後、イギリス空軍で戦闘機の不足が緊急課題となっていたため、既存の航空機を生産するようキャンセルされてしまった。7月には作業を再開できるようになったが、航空省は先の50機のうち、爆撃機20機と重戦闘機30機に変更した。これに加え、飛行に必要ないものを全て取り除いた専門の写真偵察機も試作するよう注文された。
爆撃機型
試作機を製造している間、バトル・オブ・ブリテンの激戦化で工場の稼働率は75%に落ち込んでいたが、最初の発注からわずか10か月後の1940年11月19日に昼間爆撃機型の試作機がロールアウトした。11月25日には初飛行を行った。
爆撃機型はB Mk. IVの基礎となり、B Mk. IVは227 kg (500 ポンド) 爆弾を胴体内爆弾倉に4個搭載することができる。両翼のハードポイント(パイロン)には増槽(燃料タンク)か227 kg爆弾のいずれかを2つ搭載できた。B Mk. IVは1942年5月に第105飛行隊へ引き渡された。
モスキート B Mk 35高高度爆撃機はMk. IXであったが、爆撃機として最も多数生産されたのはMk. XVIであり、約1,200機が生産された。爆撃機型のモスキートは4,000 ポンド (1,816 kg) 爆弾を爆弾倉に搭載できるようにまでなり、ブロックバスター爆撃機と呼ばれる。これはアブロに搭載して輸送するのに爆弾倉を膨らます拡張を施さなければならず、500 ポンド爆弾を最大で6個まで搭載できた。モスキートはパスファインダー・フォース(教導飛行隊, PF)に配備され、夜間戦略爆撃の目標に目印をつける役(パスファインダー)を演じ、当初から損耗率は高かったが、他の航空機で同じ任務を実行した際の損耗率と比べれば最も低く、モスキートは大戦終結まで投入された。
メッサーシュミット Me 262が配備されるまで、モスキートの爆撃に対抗するドイツ空軍の試みは成功しなかった。さらにドイツでも開発されていた高速爆撃機のコンセプトをさらに優れた形で実現させていることに注視した。
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戦闘機型
最初の戦闘機型の試作機(Mk II)は1941年5月15日に初飛行を行った。これを基に戦闘機型が設計され、F Mk IIとして生産された。胴体下にイスパノ 20 mm 機関砲4門と機首にブローニング 7.7mm 機関銃4門を装備した。爆撃機型と違って搭乗するドアの位置を胴体横に変更され、フロントガラスも改装され、防弾パネルを設けられている。
最初の夜間戦闘機型はNF Mk. IIであり、1942年1月に第157飛行隊にダグラス ハヴォックの代替として投入されたのを皮切りに466機が生産された。これはイスパノ 20 mm 機関砲4門を機体下前方に、加えてブローニング 7.7 mm 機銃4挺とAI Mk.IV機上レーダーを機首に搭載していた。
これらの夜間戦闘機の成功と、レーダーの存在を隠す必要から、ジョン「猫目」カニンガムに対し、「彼と他のパイロットたちはにんじんを食べることで驚くほど鋭敏な夜間視力を得ている」などというある程度の悪評がついた。これはイギリスがレーダーの開発をドイツ側に隠匿する必要性から起こした、偽りの情報の流布のためである。
夜間離陸を行うNF Mk XIII97機のNF Mk. IIは機上レーダーをAI Mk. VIIIに更新されNF Mk. XIIとなった。これと同性能のNF Mk. XIII 270機が生産されたが、これらは夜間戦闘時に発射炎が視力を奪ってしまうという理由から機首の機銃を撤去した。これとは別の夜間戦闘機型がMk. XV、Mk. XVII(Mk.IIからの更新型)、 Mk. XIX、Mk. 30である。後期の3種はアメリカ製のAI Mk.X機上レーダーを装備した。戦後、夜間戦闘機型はマーリン113/114エンジン装備のNF Mk. 36と、イギリス製AI Mk. IX機上レーダーを装備したNF Mk. 38の2種が作られた。一方、モスキート夜間戦闘機の機上レーダーに捕捉されていることをドイツの夜間戦闘機乗員に警告するために、ドイツはNaxos ZRレーダー探知機を導入した。
イギリス空軍だけでなく、アメリカ陸軍航空隊、オーストラリア空軍、カナダ空軍、ニュージーランド空軍、イスラエル空軍、さらにベルギー、ビルマ、中華民国、チェコスロバキア、フランス、ノルウェー、南アフリカ、ソビエト連邦、スウェーデン、トルコ、ユーゴスラビア、ドミニカでも運用された。なお、戦後になってアルゼンチンでは本機に空冷エンジンを積んだカルチーンを開発している。
写真偵察機型
最初の写真偵察機型の試作機は1941年6月10日に初飛行を行った。写真偵察機型はPR Mk. I モスキートの原型になり、1941年9月20日にPR Mk. Iがモスキートで初の任務に使用された。B Mk IVを写真偵察機に改造され、32機がPR Mk. IVとして運用されたが、PR Mk. VIIIを始め最初から写真偵察機として製造されている。
Me 262の実用化でモスキートの高速優位性は崩れてしまったが、主翼を延長、過給機を装備することで、高高度を高速で飛行できるPR Mk 32が開発された。42,000フィート(12,800メートル)で巡航できるPR Mk 32は要撃を回避できていたが、1944年12月にドイツの高高度戦闘機によって撃墜されてしまった。
戦闘爆撃機型
戦闘爆撃機型のFB Mk VIはモスキートの派生型で最多の2,718機が量産された。Mk IIを基に戦闘爆撃機型として設計され、1943年2月に初飛行を行った。爆弾倉には250 ポンド (110 kg) 爆弾、あるいは500 ポンド (230 kg) 爆弾のいずれかを2発、主翼下には1発ずつ搭載できた。1944年の前期には、イギリス空軍の沿岸軍団向けで対艦攻撃用に3インチ60ポンド (27 kg) ロケット弾を8発搭載できるようにもなった。
FB Mk XVIIIは大口径砲を搭載し、ツェツェ (Tsetse) というあだ名がある。陸軍の6ポンド砲をセミ・オートマチック、あるいはフル・オートマチックで射撃できるように改造したモリス 57 mm 6ポンドMクラス対戦車砲と7.7 mm 機関銃2門を搭載した。航空省は、このような航空機が有効利用できるわけないと考えていたが、実際に配備してみるとこれまでのロケット弾を上回る対艦攻撃力を発揮した。問題は6ポンド砲の狙いをつけている間は、低速で飛行しなければならなかったので、逆に艦船の対空火器に狙われやすかった。これは、ロケット弾で攻撃して抵抗力をあらかじめ弱めることで対処できた。